2011年7月 6日 (水)

イマドキJKは大変だ!! いくえみ綾「プリンシパル」&咲坂伊緒「アオハライド」

 先日、近所に住む友人が遊びに来た時のこと。

 彼女は、小学生息子クンの個人面談でかな~~りヒドい事を言われてダメージ目いっぱい。ベホイミの呪文もきかないほど落ち込んでいましたと。
 息子くんは、いわゆるマイペースなタイプ。何かに夢中になると人の言葉がまったく耳に入らなくなってしまう。そういうタイプは担任との相性が命、ってところはありますけどね。あいにく相性のいい先生と出会ったことがないのが、息子クンと友人の悲劇。
 個人面談で担任は、まあ言いたい放題言ってくれた上、「空気がまったく読めない」「もっと空気を読んでほしい」「家では空気が読めるんですか?」と連発してくれたらしい。
 ……あ、あの~~~~……。
 空気を読める小学生男子って、なんか気持ち悪くないですか?

 これまではずっと、吸ったり吐いたり感じたりしていればよかった空気ですが、今ドキは読まなければいけないものに成り上がりました。(いや、成り下がりか?)
 「空気読め」
 テレビのバラエティ番組で横行していたこのセリフが、今や実社会でもはびこりまくり、インフルエンザ以上の猛威で日本を席巻しています。

 和をもって貴しとなすのが日本人の真骨頂。他人の気持ちは思いやりましょう。出る杭は打たれます。……もともとそういう土台の国民性ではありますが。最近の「空気読め」はなんか違う。
 強制的で排他的。
 空気読めない子はハブられても当然、くらいの勢いで、イヤ~~なものを感じてしまいますのよ、私。 

 んで、我が家には現役JK(女子高生の略)である娘がいるんですが、たぶん、今の日本で最も空気を読む能力が求められているのがJKという人種ではないかと。そりゃもう、明石屋さんまのトーク番組のゲストくらいには気を使い~の空気を読みまくり~の日々のようで、大変お疲れのご様子です。
 帰宅しては、私を相手に延々と友達関係の愚痴をこぼすのも珍しくなく、さながら新橋の赤ちょうちんで店のオヤジ相手に会社の愚痴をこぼすサラリーマンのようです。
 私もかつては(つっても30年!! とか前だけど)女子高生だった経験があるので、ああ、わかるわかる。そういう事ってあるよね、って部分もあるんですけど、イマドキJKの気の使いっぷりは当時の比じゃないっす。

 彼女たちが恐れているのは、浮いてしまう事。ハブられること。
 ……自分を殺して周囲に合わせなければ維持できないお友達関係なら、いっそハブられたほうが気が楽じゃない? と私なんぞは思ってしまうけれど、それは多分、オバサンならではの図々しさを会得しているからかと。
 私あたりから見たらどうでもいいようなちっぽけな事が、世界の重大事と感じてしまうのが、ほらっ、思春期ってやつでしょうか。  

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 あの超名作!!!!と私は強く信じている「潔く柔く」を完結させた、いくえみ綾の新連載が『プリンシパル』です。
 前作よりも明るい感じで、会話のテンポも小気味が良いです。人物造形もOK。でも、やっぱりいくえみ綾ですから。一筋縄ではいかない感じが、1巻目からにじみでています。

 主人公は、高校で友人とささいなことで行き違ってしまい、ある日突然ハブられた女の子。
 その理由っていうのがバカバカしくて、髪を切ってきた友人に、軽く笑って「変じゃね?」と一言言ってしまった。……だけ。
 その結果のハブ→不登校と、お決まりのコース。
 心配した親が、離婚して北海道に暮らしている主人公の実の父親のところに娘を送り出し、新生活を始めさせる。というところからこのマンガは始まります。


 対して、やはり不朽の胸キュン王道少女マンガ「ストロボエッジ」を完結させた咲坂伊緒も、時期を同じくして新連載『アオハライド』をスタートさせました。

 これがまたねえ……。
 主人公は、顔は可愛いんだけどガサツな女子高校生。
 しかしそのガサツさは、実は計算。
 というのも、中学時代に、可愛くて男子に人気があるというだけで女子にうとまれ、ハブられて、中学卒業までそのままだったという苦い経験があるから。
 高校生になり、その経験から、わざとガサツ系女子を演じて女子のやっかみをスルーして、ようやく念願の女友達を作ることができた主人公。
 しかし……。

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 もうね、オバちゃん、言いたくて言いたくて仕方ないですよ。
「ちょっとアナタ、こっちにいらっしゃい。そこ、お座りなさい」って。
「アナタねえ、本当にそれでいいの? そんなウソの自分で作ったお友達でいいの? 嘘からは嘘しか生まれないのよ? そんな嘘っこのお友達のために無理してエネルギー使うくらいならボランティアでもしていらっしゃい」って。

 ああ、だけど。だけどね。
 オバチャンだって本当はわかっているの。
 30年前の女子高生時代の自分を思い出せば。
 友達って大事だよね。何より優先順位高いものだよね。
 ……とはいうものの、やっぱり30年前とははっきりくっきりと違うのよ。
 どうしてイマドキのJKはそんなにお友達に気を使うの? 気を使わなくてすむのがお友達なんじゃないの? そこまでして傷つきたくないわけ? でも、傷つくのを怖がっていたら、いつまでたっても手に入らないものもあるんじゃないの?

 いやまあ、そこはそれ。超ベテランのいくえみ綾と、ベテランの咲坂伊緒ですから。
 ちゃんとこの先、紆余曲折の展開と、細かいエピソードもきちんとつなげてくれるのは間違いないです。
 周囲の目ばかり気にして失敗を繰り返す主人公も、ちゃんと成長してくれるはず。
 とりあえず、両作品とも第一巻では、つかみはOK!!と私は思いました。  
 それにしても、「イマドキJKは大変だなあ……」というのが、私の素直な感想でした。ああ、オバチャンの女子校生時代は30年前でよかったよ。


 余談ですが、『アオハライド』のほう。第一話は主人公の中学時代のお話なんですが。まだハブられる前の。
 中1の幼い初恋っぷりの描写がよくて、よくて……。
 またも胸をキュンキュンいわせちゃいましたよ。

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 ちゃんと、中学生の恋と、高校生の恋と。きちんと描き分けられているあたりは、さすがに「別マ作家」だなあと。
 今後の展開も期待して買っていきます。   

 






「ビューティフルピープル・パーフェクトワールド」坂井恵理

 んで、ちんたらとマンガレビューの2回目です。
 私ね、ネットを始めて、た~くさんの素敵なお友達ができまして。それは本当に幸せなことなんだけど、なかでも濃いいマンガ友達ができたことは、とっても大きかったです。私の中では。
 ここ数年は、4~5人のマンガ仲間の間でお互いにマンガをダンボール単位で貸し出しあって、グルグルと回る回る。常に我が家には段ボールが3箱(中身はギッシリずっしりとマンガ…)が積み上がっているという日常ですの。ビバ、ヤマト運輸!!

 おかげで、自分だけでは見つけられなかっただろう未知の作家さんをたくさん知ることができました。ありがたやありがたや。
 このマンガも、そんなダンボールの中にポツンと入っていたものです。(貸してくれた某さん、ありがと~~heart01)

 この坂井恵理という作家さんは、まだ新しい人です。でも1972年生まれということなので、決して若いわけではないですね。
 絵柄としても、安定はしているけれど、特に新しいわけではなく、どこかで見たような感じ。
 検索したら、柴門ふみのアシスタントだったんですね。なるほど、納得。確かにそんな感じです。いや、柴門ふみよりは、はるかに絵が上手いですけれど。

 んで、この「ビューティフルピープル・パーフェクトワールド」。
 舞台は近未来の日本。といっても、SFチックなところは何もなく、ほとんど現在と変わらない生活レベルのようです。ただ、唯一、現在と違うのは、美容整形の技術が飛躍的に進歩し、誰でも安くて手軽に安全に手術を受けられるようになり、ほとんど全部の国民が美容整形をするようになったという設定なんですね。
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 人は差別的な生き物です。
 「差別はいけない」と、私たちは学校でさんざん教えられてきたけれど、企業などはどこも「他者との差別化」をどう図るかで必死。差別は悪だけど、差別化は正義。……その境界線はどこにあるんでしょうか?

 誰もが美男美女になった世界では、美醜による差別はなくなるでしょう。
 でも、それは理想郷なのでしょうか?

 "美しさ"の超インフレ社会。
 美しいことが当たり前になってしまえば、人は別の価値観で人との差別化を図るだけです。
 手っ取り早いところでは、お金と能力でしょう。
 お金か能力があれば、その人はより高度な整形手術が受けられ、もっと美しくなれます。美醜による差別をなくした結果、より人間は二極化していくのです。勝ち組と、勝ち組になれなかった組と。
 上記のコマのあと、このツインテールの先生は言います。
「先生が子どもの頃に比べたら、みんなは恵まれているのよ? 容姿に関係なく評価してもらえるんだから!」
「努力して結果を出したものだけが笑う! 理想的な社会じゃない!!」 
 もう、このセリフを読んだだけで私、息苦しくて息苦しくて窒息しそうでした。
 勉強ができなくても、家が貧乏でも、美しければ一発逆転の可能性があった旧社会。対して、努力と才能と出自のみがすべての社会。
 ……それが理想的な社会というのであれば、それはいったい誰にとっての理想なんでしょうか? 
 美醜だけではありません(笑)。
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 この単行本には4つのお話がはいっていますが、その2話目。
 ひきこもりだった主人公の兄が、ある日いきなり整形手術でアニメのキャラクターになっていたというお話。
 整形技術が進歩した結果、性別も容易に変えられるようになります。
 オタクでひきこもりだった兄は、自分をアニメの美少女キャラに作り替え、オタクサイトで知り合った在宅ビジネスマン(彼も別の美少女キャラに整形している。笑)との結婚をはかり、専業主婦になろうとする。
 もちろん、そんなにうまくいくはずはありません。
 それまでさんざん甘えまくってきた実の母親にさえ、途中で「女、なめんな」と突き放されます。

 性別も変えられ、顔も自由も変えられるようになったら、自分が自分であり続けるのは難しいんだろうなあと、容易に想像できます。
 今の日本、女性誌ではいつも「自分を変えたい!」と特集記事を組んでいます。そんなにみんな今の自分がイヤなのか? いったい自分の何を変えたいんだろう?と車内吊り広告を観るたびに、私、疑問でした。
 でも、なかなか変えられないからこそ、「今の自分を変えたい」という特集は成り立つわけで、簡単に自分を変えられるようになったら、どうなるんでしょうか?
 自分の中心にあるはずの"自分"はどこに行ってしまうんでしょうか?
 コロコロと整形を繰り返しても平気なのは、松田聖子ばりに確固とした"自分"を持っている人間だけだと思うんですけれど、そもそもそんな人間は整形がなくても生きていける人です。
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 幸せってなんだろう? 理想の社会ってなんだろう?と考えさせられた一冊でした。
 読後感も悪くないし、面白かったです。
 
 
 
 ちなみに、このレビューを読んで興味を持ってくれた方。
 この本の第一話はネットで無料で読めます。いやあ、いい時代になったものだわ。http://www.ikki-para.com/tameshi/bpbw/index.html

2011年7月 5日 (火)

愛を分析し続ける作家・水城せとな『脳内ポイズンベリー』

 はじめまして。

 いちおう本業はライター(兼・二児の母)なんですが、マンガばっかり読んでいて、まったく仕事をしてないと関係各社からお叱りをいつも受けております、いしまりと申します。よろしくお願いします。ぺこり。
 結構ひんぱんに入れ替えているわりには、何も変わり映えのしない心根ですが、これからは時々、マンガのレビューを書いていこうと思っています。
 「この世にマンガなんて一冊もなくても何も困らないわ」「私の人生において、マンガって何も意味がないわ」という方は、華麗にスルーの方向でお願いします。

 で、ですね。
 24年組に端を発し、少女マンガに軸足を置いているワタクシ。
 2011年7月現在、この日本でまずどのマンガ家さんを語るべきかと問われれば、やはりこの人を置いて他にはいないのでは?と思うんです。

 水城せとな

 「ワタクシ、こう見えても若いころには少々マンガをたしなんでおりましたのよ。でも最近の若い作家さんはさっぱりで……」という、私と同世代のオールドまんがファンの間では、まだまだなじみの薄い名前ではないでしょうか。水城せとな。
 さあ、一緒にご唱和ください。水城せとな、ですよ。覚えましたか?
 せとなはひらがな。
 ちなみに公式HPはこちらです。http://www.page.sannet.ne.jp/setona/

 水城せとなという作家は、直球を投げません。
 放たれた球の曲がり具合といったら、あなた、私のなかでは西炯子と両横綱を張るくらい。(西炯子は、『娚の一生』という枯れ専マンガでちょっとブレイクした作家さん。近いうちにこのブログで詳しく書きます。)
 ただ、西炯子は完全におへその位置が曲がった作家さんだけど、水城せとなはそれとは違うんですね。
 へそ曲がりだから投げた球が曲がってしまうのではなく。真面目にマジメに突きつめて掘り下げて考えているうちに、ハッと気が付いたら作品がとんでもない軌道を描いてしまったわ、みたいな。

 私がはじめて水城せとなのマンガを読んだのは、たぶん『放課後保健室』という作品です。学園を舞台にした、不思議な雰囲気のゴシックホラーでした。
 その後、『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』というゲイカップルの愛と葛藤を描いた作品を読んで、ものすっごい衝撃を受けまして。私の人生のなかでは、本物の「たぬき汁」を食べたときと同じレベルの衝撃でした。(たぬき汁は、それまでの私の食体験のすべてを帳消しにするほどのインパクトでした……)
 この連作は、世間的にはBLのくくりに入れられる作品です。でも、BLの枠からはるかにはみ出した深い人間ドラマでした。
 「こ、こいつはタダモノではない……」と思い、以来、過去の作品までさかのぼってむさぼるように読んだものです。
 この作品では、同性同士の恋愛ということで、結婚だの将来だのと確かなものが何もない中で、剥き身にした愛そのものが描かれていました。「愛の本質って何だろう?」とこちらに問いかけてくる作品でした。
 続いて描かれた『失恋ショコラティエ』。これはまだ連載中ですが、やはり愛の正体について疑問を投げかけてくる秀作です。
 水城せとなに関しては、語るべきことがあまりにあり過ぎるので、これらの作品についてはまた次の機会に書きます。
  とりあえず今日は最新作の「脳内ポイズンベリー」1巻についてだけ語りますね。

 私たちが日常、何か行動するときって、頭の中で色々な要素を並べて比べて、そのなかから最もその時その場に妥当だろうと思われる案を採用していると思うんです。言葉にすると大層になっちゃうけれど、誰もが無意識にやっていることだと思うんですね。
 で、この『脳内ポイズンベリー』は、それら頭の中の要素を擬人化してみました、という作品です。  主人公は30歳になってしまったばかりの不思議ちゃん女子。OLをやめてつなぎとして携帯小説を書いています。彼女の脳内に常駐しているのは5人。それぞれ、ポジティブ担当、ネガティブ担当、乙女心担当、議長、記録係 です。
 リアルな場面に対して、この5人が常にギャーギャー議論しあって主人公の行動を決定します。

たとえばこんな感じ。



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 上のコマが現実の主人公。下のコマが、その時の主人公の脳内です。
 状況を説明すると、30目前の主人公(いちこ)が合コンで知り合った男の子に一目ぼれ(?)。でもその子はまだ23歳で。ずっと気になっていたら、駅のホームで偶然にも再開。勇気を出して声をかけて、なりゆきで一緒に吉牛で牛丼食べて、そのまま勢いで彼の部屋を掃除しに行き、押し切るように行くところまで行きつく。
 でも、朝になって相手が寝ている間に、電話番号も残さずに主人公は帰ってしまう。  もうね、そのへんにいっくらでも転がっている痛い状況ですよ。
 これだけだったら、マンガにはなりません。
 でも、当然、主人公の頭の中はパニックなわけで、脳内会議は紛糾しまくり。「私は本当はそんなに痛い女じゃないんだ!!」「一回やったくらいで彼女ヅラする重てーオンナと思われたくない」「でも連絡先くらいは置いて来てもよかったのでは」「あれは悪い夢だった。きっとカレも今頃、夢だったと思っているに違いない」「でも自分のキャラと違う行動がとれたってことは、世界はまだ変われるんじゃない?」などなど……。
 それが滅茶苦茶、面白くて、普通なシチュエーションをドラマに変えてくれます。
 んで、一週間たって「あれは夢だった」と主人公のなかで片づけ終わったところに、カレから電話がかかってきて、上の画像のコマになるわけです。

 ああああああ、なんかわかるわかる!!  こういう感じってあるよね~!! と、私は思うのですが、はたしてどれだけの人がそう思うのかはわかりませんが。
 なんかもうねえ。5~6人で話し合った結果だから、主人公の行動って、いまいち脈略がないんですよ。それが年甲斐もないほどの恋愛リテラシの低さに直結しているんです。
 設定はぶっ飛んでいるのに、読後感はリアル。

 んで、常に愛の本質を掘り下げて考察してきた水城せとなですが、結局のところ、この作品で言いたいのは「ぶっちゃけ、他の人がなに考えているかってわかんないよね」だと思うんです。
 あああっ、みもふたもないっっっ!!!!!!!!
 だけどもまあ、これだけ見事に主人公とカレ氏(双方、不思議ちゃんが入っているのも敗因ですが)が、かみ合わなくてすれ違う状況を描写されちゃうと、滅茶苦茶説得力があるんですよ。
 で、思うわけです。
 かくも人と人とがわかりあえないのであれば、愛だの恋だのは各自の勝手な思い込みによってしか成立しないのではないか? そしたら、それは蜃気楼のようなものなのではないか? ……実はこのあたりを描いたのが『失恋ショコラティエ』だと思うんですけど。
 この『脳内ポイズンベリー』では、もう一歩進化していたように私は思いました。
 ここまで人と人とが分かりあえないのであれば、愛は直感と衝動によって成り立つしかないのではないか?

 あと、本筋とは関係ないんですけれど。
 私が好きだったシーン。  合コンでホイコーローのキャベツを一枚一枚どかして肉だけ食べるカレに、主人公が「…肉食なんですねー。野菜嫌いなんですか?」  それに対して、カレの返事が「…ああ、なんかね…。疲れるっつうか」、主人公「疲れる?」。カレ「うーん……、なんつーか。野菜とは闘えないね。肉となら渡り合えるんだけど」  しかもそれが、合コン中で唯一、主人公とカレの交わした会話だってあたりが、もう、もう……。あいたたたたたたた。
 たぶんこれ、他の人が描いたら、「痛い人の痛い恋愛マンガ」で終わる気がするんですね。
 でも、水城せとながすごいと思うところは、痛い部分は痛いままで、シビアに突き放すところも突き放したままで、だけど全体としてちゃんと娯楽作品にまとまっている点だと思うんです。
 このすごさがわからないマンガ初心者でも、それなりに楽しんで読めるはず。……実はそれがいちばんスゴイことだと私は思うんです 。

 いやあ、上手いですよ、水城せとな!!
 まだ1巻ですからね。この先、どうお話が転ぶかはわかりませんが。

 とりあえず私はずっと楽しみに読み続けます。